皆様、今晩は。
時は瞬く間に過ぎて行き、
あんなに悲しかったことも、
今となっては懐かしくも
思えて来るのですから、
時の浄化作用というものは、
すごい力がありますね。
多少の後遺症は残りもしますが、
人間はけっこう逞しい生き物。
そばに良き理解者が一人でもいれば、
どんなに辛いことがあっても、必ず
生きる力は湧いて来るものなのです。
昨年、久しぶりに、人間不信に
陥るような出来事が勃発しましたが、
「時」という薬のお陰で、心の傷も
だいぶ癒えて来たところに、訃報が…
山本譲二さんの出世作でもある
《みちのくひとり旅》は、今月22日に
ご逝去された作曲家・三島大輔さんの
出世作でもあり、このお二人を
世に出されたプロデューサーこそ、
美空ひばりさん、島倉千代子さん、
小林旭さん、こまどり姉妹さん、
北島三郎さん、水前寺清子さん、
畠山みどりさん、五月みどりさん他、
数え切れない大物歌手を育て、その
作品をヒットさせた《艶歌の竜》こと
『馬渕玄三』先生なのであります。
その馬渕先生のお抱え運転手として
10年間尽くされた三島さんの功労を
称え、馬渕先生が北島音楽事務所さん
から依頼された売れない(失礼)歌手
山本譲二さんの再デビュー・勝負曲の
作曲を、三島さんに託したのでした。
私の詞の師匠・丹古晴己先生から
紹介されて、初めて馬渕先生に
お会いした瞬間、その眼光の鋭さと、
暖かい眼差しの、両方を併せ持つ
不思議な目ヂカラの魅力に、たちまち
惹き込まれ、大ファンになると同時に、
馬渕先生からも、作詞作曲家としての
感性を認めて頂き、天にも昇るような
気持ちになったのを、憶えています。
やがて、山本譲二さんを男にする?
プロジェクトチームに、丹古先生と
共に加わり、飯倉にあった馬渕先生の
事務所に通っては、私も必死に詞を
考え、夢を追う日々を送っていました。
そして、程なく「みちのくひとり旅」が
大ヒット。それから色々な事があり、
編曲を担当された斎藤恒夫さんが
1990年に、馬渕先生が1997年に、
丹古先生が2012年に他界され、
みちのくひとり旅に携わった方々が
少なくなってゆく中で、またお1人、
作曲担当の三島先生が、この22日に
お亡くなりになられ、本日が告別式
と、いう訳で、益々寂しくなりました。
芸能界の裏を垣間見た当時の私は、
当然、今より若く、傷つきやすい心を
抱えて、必死に生きておりましたから、
どんどん、人間不信に陥ってしまい、
東京を捨て、第二の人生を始めようと
千葉へ越して来たのであります。
あれから何年?…どんな想い出でも
美しく変わるのは「時」の絵筆のお陰。
《月の松島 時雨の白河
昨日と明日は 違うけど…》
東日本大震災後の松島の景色は
35年前とは大きく違うものの、
瞼を閉じれば蘇るあの懐かしい風景。
今もなお、海に眠る人々の慟哭を、
そして、その遺族の方々の哀しみを
どうか、時よ、癒してあげて下さい。
その美しい絵筆で…
想い出の中に、歌の中に、
人々の思いは生きています。
通信カラオケの映像を見ながら歌う時、
失った美しいものを取り戻せる喜びに
私たちは命をまた輝かすのでしょう。