幼い頃、私にはまだ父がいて、母だと思っていた祖母がいて、血の繋がっていない姉がいて、大きな借家に住んでおり、当然ながら、世の中のことは何も知らず、目の前にある与えられた世界がすべての幼少期の自分を思い起こすと、そのいじらしさに胸が熱くなります。


その家には、私たち家族だけでなく、痴呆症になった大家さんのお祖母さんが住んでいて、そのお祖母さんの家族の代わりに私たちがそのお祖母さんの面倒を見ておりました。

痴呆症と言っても、同じことを何度も繰り返す程度で、いつも椅子に座り、陽だまりの中、遠い眼差しをしているそのお祖母さんの横顔が私は好きでした。

たぶん、そのお祖母さんも自分の家族より、私たちの方が本当の家族だと思っていたことでしょう。


大きな銀杏の木が3本だったか5本だったかは忘れてしまいましたが、菜の花畑もあって、紋白蝶や紋黄蝶が飛び交う庭を持つその家で、楽しく過ごせたという幼少期の記憶を授かった私は、それだけでも幸運だったに違いないのです。


他に、画家の男の人が間借りしており、私たちがその家を立ち退きになった際、みんなでお別れ会をしたのですが、まだ5才になったばかりの私にとって、その出来事の何もかもが楽しく輝いて見えたのですから、本当に私は幸せでした。


そんな大きな家から、六畳一間のアパートに引っ越しをした時も、何だか楽しくてワクワクしたのを覚えています。

子供にとって大事なことは、大きい家とか、小さい家とかじゃなくて、家族に囲まれているということ…家族そのものが家なんですね。


だから、父、祖母、姉と4人で、3つの布団でくっついて寝ることが窮屈なんて思ったことはありませんでした。


ただ、そのアパートが何世帯もある長屋のような汚いアパートでしたので、引っ越した途端、仲の良かった保育園のお友達のお祖母さんが、私と付き合わないようにと言っていたようですが、そんなことは気にせず、けっこう遊んでいましたね。

昔の子供は結構色々な意味で、健康的でたくましかった気がします。


その子の家には、卓球台があったりして庭が広く、かくれんぼをしたり、私もよく遊びに行っておりました。

ご両親が教師で、校長先生の娘ですから、常に勉強、勉強!という感じで、鍵っ子の私とは全く正反対の環境でした。


今にして思うと、何故か私の友達は恵まれた家庭の子が多く、遊びに行くと、洗面所というものがあったり、玉子ケース付きの白くて綺麗な冷蔵庫があったりで、ちょっぴり羨ましいこともありましたが、父が冷凍機関係の仕事をしており、業務用の大きな冷蔵庫を六畳一間の部屋に、でんと置いたので、エンジンの音がうるさくて困ったものの、何となく誇らしげで、そのお陰で?貧乏だと思ったことはありませんでした(笑)


新しい住処のアパートには、どちらかと言うと貧困層の家族が多く暮らしておりましたが、実に様々な形態の人種が長屋の如く交流していた記憶が残っています。

有名になった漫画家の方もおりましたし、独り者や、老夫婦、新婚さん、子だくさんの家族等、ありとあらゆる人間がひしめき合って暮らしている面白いアパートでした。

時代でしょうか、殆どの人が鍵もかけずに暮らしていましたっけ…

そこに住む、鼻を垂らした汚い服装の子供たちが、よく「駄菓子屋に行こう!」と、誘いに来たものでしたが、楽しかったですね。

考えてみますと、今、どんな環境にいる方でも、どんな性格の方でも違和感なくお付き合い出来るのは、子供の頃に培ったものなのかもしれません…


どんな所に、どんな親の元に生まれて来るのかは誰も知らずに生まれて来ます。


運動神経の良い私がもし、プロゴルファーやテニスプレイヤー等の運動選手の元に生まれて来たとしたら、間違いなくスタープレイヤーになっていたことでしょう。


音感の良い私がもし、音楽家の両親の元に生まれて来たとしたら、歌手として、作曲家として、もっともっと活躍していたことでしょう。


でも、「施し貧乏」のやさしい父と祖母の元に生まれ、その背中を見て育った私は、物質的には貧しいかもしれないけれど、かけがえのない「豊かな愛」と「幸せの記憶」を授かりました。


父が他界してからの数々の苦労も、「幸せの記憶」があったからこそ、それぞれの哀しみをくぐり抜けて来れたのだと思います。


運命を受け止める力を与えてもらった以上、この環境で頑張るしかないのです。

幼い頃、父から授かった「幸せの記憶」…

父が生きている時に親孝行が出来なかった私だけれど、今、厳しい環境の中で精いっぱい生きている私を、父はきっと誇らしい気持ちで天から見守っていてくれていることでしょう。


そして、父と祖母がそうしたように、出会った人たちが困っている時は出来る限りの力で手を差し伸べ、家族として支え合って暮らしていける環境づくりに従事出来ればなあ…と考えている毎日であります。


養護施設を作って、親に恵まれなかった子供たちに「幸せの記憶」を、家族に見放された老人に「人を育てたご褒美」をお授け出来るよう、私は、頑張りたいのです!

どうか、応援してください!