サーモンピンクの小バラと背景にライト













皆様、今晩は。

先程の地震、けっこう揺れましたね~
家に帰ったら、色々な物が倒れておりまして、驚きました。

先週も吉祥寺にいる時に地震がありましたが、
ちょうど寝入りばなで、気持ち良く過ごさせて頂きましたっけ…

実は、今日も、飲み会中の出来事でして、さほど、恐くはなかったものの、
家に帰ってみて、物が倒れたり、水がこぼれて棚がびしょ濡れだったりして
かなり揺れたのだということに初めて気が付き、改めて、ゾ~ッと致しました。


さて、昨日は24年ぶりに、松田聖子さんの最初のプロデューサーでもある、
CBSソニーの若松宗雄さんにお会いしたというお話を少しさせて頂きましたが、
当時の歌謡界、レコード会社は、まだまだ活気があり、若松さんのように
歌手の実力やタレント性を見抜く感性を持ち、しかも心意気を軸とする行動で、
業界をリードして来た方々が、少なくとも私の周りには何人かおられまして、
いそいそと、自信作を持参しては、見果てぬ夢を追いかけていたものでした。

若松さんもおっしゃられておりましたが、その中で誰と巡り会うかが、
重要なポイントであり、歌が上手いからとか、良い作品だからとかではなく、
未完成なものであっても、その時流にタイミング良く乗れている人と出逢い、
タッグを組めたタレントなり作品が、図らずもブレイクするのだということを
指摘され、当時の私には、そのあたりの運とかタイミング等を、掴む力量が
乏しかったのだということを、改めて、知らされた次第であります。

今にして思えば、何人もの方から凄腕ディレクターを紹介して頂いたものの、
どうも苦手だな~という人が多く、せっかくのチャンスを逃して来た気がします。

仕事に於いては、そういった、何故か相性が合わないような人の方が、
最終的には良きパートナーになることが多く、勉強をさせてもらえるのに、
若い時は、チヤホヤされることに快感を覚え、厳しいことを言ってくれる方々の
偉大さが解らず、疎んじてしまった未熟な私を、情けなく思いつつも、
あの東日本大震災の年に被災し、紆余骨折(笑)を経て、そんな自分から
脱皮した今の私を、当時のディレクターにお目にかけたいと思っていた矢先に
ひょんなことから、この度、若松さんと久しぶりにお会いすることが出来たのでした。

若松さんは、厳しい中にも温厚で人懐こい魅力があり、故郷も私の祖母と同じ
福島のいわき市ということもあって、当時から親近感を感じておりました。

2年ほど前に<エスプロレコーズ>という会社を立ち上げられ、
精力的に活動されているご様子の若松さんであられますが、
そのタレント性を嗅ぎ分ける天性の芸術・芸能的感覚で、低迷する音楽業界に
もう一度、華やかな旋風を吹き込んで頂きたいものだと強く思っております。

1人でも48人分のスター性を持つ実力派アイドルと、形容出来るのが、
<松田聖子>さんであり、そのスター性を見分けるお力を持ってらしたのが、
若松さんであって、そのようなお方と、またこうして今、再会出来たのも、
何かの暗示かもしれないと思いながら、美しい月に導かれて帰ってまいりました。

久しぶりに、鮮やかな喝を入れられたような嬉しさを感じつつ…。

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八千代市に越して来た当時の私。髪が多過ぎて困っていました(笑)