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皆様、今晩は~(=^・^=)

この頃、我が家へ顔を出すようになった野良猫「ひろし」。

この間もチラッとご紹介致しましたが、3年前に瀕死の状態で
迷い込んで来たというか、捨てられた「マルちゃん」とは違って、
根っからのノラらしく、その顔つきや行動は、人間不信のような
荒んだ表情で、目つきも悪く、品の無さが滲み出ておりました。

猫のひたいほどの(笑)我が家の庭に咲く草花たちに
水をあげていると、どこからともなく「ひろし」が現れて、
じっと私のことを観察しているのですが、少しでも近づくと、
コソコソと倉庫の陰に隠れてしまい、なかなか心を開いてくれません。

でも、見て見ぬふりをしながら、花柄摘みをしたりしている内に、
私がそれほど危険な人物ではないと判断したせいか、逃げなくなり、
一定の距離を保ちつつ、「ひろし」とは、さり気ない付き合いが続いております。

子供の頃から猫と暮らして来た私は、鳴き声でオス猫を
おびき寄せることが得意で、ネコ語が話せると豪語しておりましたが、
子どものように可愛がっていたジュリアンという黒トラの猫が
交通事故で死んでしまってからは、あまりの哀しみに、もう長い間、
生きた猫と暮らすことなく、もっぱら写真や人形の猫を愛でたり、
YouTubeの動画の人様の猫を拝見することで我慢しています。

ただ、3年前に、癌や白血病等、いくつもの病気に侵された老猫が
我が家の近くに捨てられ、あまりの痛々しさに家に入れ、「マルコ」と
名づけ、介護したひと月足らずの愛おしくも短い命との日々を思えば、
縁あって命を預かり、看取るという使命感のもと、数々の涙を超えて、
また猫や動物たちと暮らせる日が来るのではないかとも思います。

あの最後に抱きしめた小さな亡き骸に、まだ残っていたぬくもりを
思い出す度に、飼い猫としてきちんと躾けられ、育てられていたと
思われる品の良い「マルちゃん」を、こんな大病を患ったせいで
捨てたのだとしたら、その飼い主は動物を飼う資格の無い人です。

それとも、その飼い主が亡くなって、家を追われたのか…

どちらにしても、ほんの短い間でしたけれど、最期を我が家で
迎えられたことは、それなりに徳の在った猫なのかもしれません。

「縁」というものは、関わった時間ではなく、関わった思いの深さが
繋ぎ止める心と心の結び目を指すのだと、私は思います。

猫にも心はあると思う証拠に、人を警戒していた野良猫「ひろし」も、
徐々に柔らかい表情になって来て、最初に見た時とは別人…いえ、
別猫のようになってまいりました。

ねぐらはどこにあるのか、この寒さで風邪を引きはしないだろうか…
少々気がかりではありますが、野良猫のたくましさで、この冬を無事に
乗り越えてほしいと、思っていますよ、「ひろし」くん!

今日は、クリスマスローズを写すふりして、その向こうのキミをパチリ!
実際はもっとブサイクなんだけど、私と同じで、写真映りの方が、
多少は良いんでないかい? カメラ目線、決まっているニャ~?
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逃げ足は、「猫ひろし」さんより、速いみたいです。「野良猫・ひろし」