桜2014320













皆様、今晩は。

サリン事件から19年が経過した今日、
私の命もまた、19年延びたことになります。

と、言っても、サリンを吸って倒れた訳ではなく、
その日、たまたま、お腹の激痛に耐えながら、
ある知人の店の開店祝いに仕事絡みで出掛け、
新宿駅まで辿り着いたものの、事件の影響で
電車は動かず、タクシー乗り場には長蛇の列、
2時間半以上遅れて、その店に着いた時には、
テレビでもまだ何が起きたか分からないような
騒然とした状況が映し出されており、とにかく、
私にとっては、サリンで苦しむ人たちと同じ位の
お腹の痛みだけが、記憶として刻み付けられた
19年前の今日、平成7年3月20日でした。

そして、その3日後、私は痛みのショックで倒れ、
卵巣破裂寸前の緊急手術により、こうして19年も
命を更新し続けることが出来ているのであります。

当時は、オマケの命と思って、いつどうなっても
よいという覚悟のもと、がむしゃらに過ごして来た
私ではありますが、近頃になって、崩壊してゆく
容姿に愕然とする瞬間が多くなり、まだどこかに
女を捨て切れず、人生をオマケと思い切れていない
自分がいることに気付き、情けなくなることも。

「執着」を知らず知らず、纏い重ねた月日を
「命」と呼ぶなら、「執着」も「命にとっての栄養」です。

サリン事件で、突然、かけがえのない命を奪われた
被害者の方々や、そのご家族の方々の無念さを思えば、
偶然にも助かった自分の命を粗末にしてはならない、
この命は「粗品」としての「オマケ」ではなく、もちろん、
「お負け」でもなく、人々の為に「愛の種」を「蒔け」、
『愛オマケ』という意味合いの「オマケの命」なんだと解釈し、
社会の片隅で、孤独や悲しい出来事に涙している人々の
支えになれるような活動を、<手をつなごう会>と共に、
命ある限り続けてまいりたいと、改めて思った今日でした。

未だに、サリンの後遺症に苦しむ方々や、
愛する家族を失った方々の哀しみを癒せるだけの
年月が過ぎたとは思えない「19」という数字ですが、
「彼岸」という言葉に、せめてもの安らぎを感じて
頂けるよう、静かに手を合わせた次第です。

二度と、あのような稚拙で、残虐な事件が起きないよう、
知識を詰め込むだけの教育から、真の道徳心を育てる
一人一人の人間性を大切にした教育へと戻しましょう!

命の大切さを説く前に、心の在り方を指導出来る大人が少ない。
問題は、そんなところにあるのかもしれませんね。

入院中、テレビで報道されていたサリン事件を観ては、
救って頂いた命に感謝をして過ごしたあの懐かしい日々・・・

19年前の今日から3週間後、桜吹雪に包まれた
退院の日のお昼に、久しぶりに飲んだ、たった1杯の
白ワインの味と、桜よりもピンクに染まった頬の熱さを
忘れはしない「戻った命のほろ酔い記念日」も、間近です。

桜茶屋イラスト