日がな一日、鳴き続ける「セミ」。
桐の木にとまったり、強風にあおられるバスタオルに必死にしがみついて鳴いています。
皆様、こんにちは。
昨日は、暦の上では「立秋」でしたが、まだまだ「盛夏」、
我が家の草花たちも、過酷な環境下ではあるものの、
何1つ文句も言わずに、頑張って健気に咲いております。
「蝉」たちも、必死に鳴き続け、純粋に生きることの尊さを
私たちに教えてくれているかのようで、その姿、鳴き声に
しばし、見惚れ、聴き入ってしまう私がいます。
何もかも、命を愛おしく感じる、儚くも短い夏・・・
そう思えるから、どんなに暑くても辛抱できるのでしょう。
うちの葡萄も、けっこう色づいて来ました。
卓上用の小さな植木鉢に2房だけ付いていたデラウェア。
あまりの可愛さに観賞用として、思わず買い求めてしまったものが、
まるで葡萄園のように見えるほど、大きく育ってしまい、びっくり!・・・
強風と、恐怖のカナブン軍団の襲撃にも耐え、葉っぱはボロボロですが、
実の方は、何とか無事、私たちに食べられるのを待っているようです。
(それって、結局、無事とは言えないんじゃないの?(´・ω・`)・・・)
今日は、「うちのじゃが芋」と「うちのミョウガ」と「うちのピーマン」でお食事。
自給自足の「口福」と、平和の「幸福」を噛みしめています。
コメント
コメント一覧 (2)
けだるい夏の日盛りに、命をかぎりに鳴く蝉は、なにを想って啼くのでしょうか・・・
真夏日の蝉を観ていると、なぜか『無常感』に駆られ、人も、動物も、草花も、その儚い命が、息苦しいほどに愛おしく、切なく、哀しく、そして美しく感じられてなりません。
振り落とされそうになりながらも鳴き続けるセミに
心を奪われ、しばらく見ておりました。
かと思えば、全く鳴く気配もなく、じっと木に
止まっているだけのセミもいたりして・・・
でも、その内、ようやく鳴き始めたので
妙にホッとしながら、その場を離れました。
『無常観』・・・それは、気怠く短い夏に棲息する生き物の抜け殻のようですね・・・