レトロなピンク☎20131003













電話が鳴った…

六畳一間の
何も無い部屋の床の真ん中に

ポツンと取り残された電話器が
まるで生き物のように声を上げた

誰だろう?

5年間住み慣れたこの借家を
今 出て行こうとしている時に…


「もしもし…」

「もしもし、俺。」

「あ…」

「本当に結婚するんか?」

「うん…」

「考え直してくれんかのう」

「そんなこと言われても、つき合ってた訳でもないし。」

「幸せにするから…」

「だからね…私はもう…」

「俺と結婚してくれ」

「何言ってんの? ごめん…もう行かなくちゃ…」

「どんな奴なんだ?」

「やさしい人だよ」

「頼む!俺と一緒にいてくれ!行かないでくれよ!」

「ごめんね!みんな待ってるから…切るよ サヨナラ。」

「待ってくれ!…愛してるんだ!」


やめてよ…なんだっていうの…

勝手にアツくなって
急に そんなこと言われても…


タンスも 机も 冷蔵庫も 荷物はすべて
トラックに積み込んだ

カーペットも剥がされた がらんどうの板の間で
まだ電話は鳴り続けている

私が冷たいわけじゃない
あの人が勝手なだけだ

勝手にそんな…思い込まれても困る
まるで私が悪者みたいじゃないの…


あの人が 私を好きだったのは知っていた

でも デートらしいデートもしたことがないのに
いきなり愛してるなんて言われても…

それも 引っ越しの日の何も無い部屋で


あの人の勝ちだ

あの電話を使って 私に魔法をかけたんだ…

切ない愛の叫びを この胸に埋め込んで
いつの間にか 私の心に棲みついていたあの人

あの日 あの部屋にあったものは
電話と あの人の声と 「愛」らしきもの

そして 私の「同情」らしきもの

あれから長い時間をかけて
あの日の切なさが あの人への
「愛」らしきものに変わろうとしている…

あの人の勝ちだ

引っ越しの日の何も無い部屋は
あの人に味方した

あの電話に今日の日を仕掛けたのは
いったい誰なんだろう

あの人? 神様? もう一人の私?

10月の陽だまりの中で
狼狽している愛を抱えながら

二度と会えないあの人を想ふ…