タグ:作詞家

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皆様、今晩は。

早速ですが、先週に続いて
生歌コーナーで歌わせて
頂いたのは、鈴木淳先生の
曲に、私の恩師でもある
作詞家の丹古晴己先生が
詞をつけた昭和歌謡の名曲
『霧にむせぶ夜』でした

それと、小川知子さんの
「思いがけない別れ」も。

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最近、昭和歌謡ブームと
あって、我が番組でも毎週
のように懐かしい歌謡曲を
おかけすることが多くなり、
しばらく洋楽をおかけして
いないので、今回は久々に
洋楽でクリスマスソングを
特集するつもりでセトリを
考えていたところ、訃報が
届き、鈴木淳先生の作品を
特集させて頂くことにした
為、またしても昭和歌謡の
特集ということになって
しまった訳ですが、素敵な
作品を数多く世に遺された
鈴木淳先生の名曲と共に
一世を風靡したシンガーの
魅力溢れる歌声をたっぷり
お聴き頂ければ、納得して
頂けること間違いナシです。

再放送は全世界どこででも
いつでも何度でもご視聴に
なれますので、パソコン・
スマホ等で、ぜひ、どうぞ。

下記の枠内をクリックして
ご視聴頂ければと思います。

 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓





改めて鈴木淳先生の名曲を
お聴きして、昭和歌謡の
素晴らしさを痛感しました。

心より鈴木先生のご冥福を
お祈り申し上げます。

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まだよ ジャケット写真


















皆様、今晩は。

今日は私の恩師でもある
作詞家の丹古晴己先生の
98回目のお誕生日です

生きていらしたら、私の
デビュー40周年を誰より
喜んで下さるに違いなく、
そして、新曲の詞を見て、
にっこり微笑み、絶賛して
下さるに違いないはずです。

丹古先生のアドバイスの
お陰で「まだよ」が出来、
シンガーソングライターと
して、デビュー出来た訳で、
そのアンサーソングとなる
曲「さよならはまだよ」と
いうタイトルに、目を細め、
喜んで下さることでしょう。

2012年の9月に他界され、
今年で8年が経ちましたが、
100才までご延命されると
信じて疑わなかった私には
今もまだ先生が故郷広島で
原稿用紙、又は競馬新聞を
眺めて暮らしているような
そんな気がしてなりません。

出来れば、ご存命の内に
「さよならはまだよ」と
言ってあげたかったなぁ

競馬が大好きで、印税を
面長の恋人(馬)につぎ込み、
質素な暮らしをされていた
丹古晴己先生の弟子として、
苦労も多かった私ですが💧、
色々な方々との出会いを
いざなって下さったご恩は
忘れてはおらず、こうして
その方々とのご縁を大切に、
40年という月日を過ごして
思ったことは、決して私は
人が気の毒に思ってくれる
ほど、不運でも、不幸でも
無かったということでした。

長いようで短かった40年間、
成長し続けて来たと言える
証明が作品として残せたと
いうことは、丹古晴己先生、
そして、紹介された方々と
育んで来た絆のお陰であり、
幸運だったということです。

これから先も、一日一日を
大切に成長し合えるような
方々との交流を続け、更に
絆を深めてまいりたいとの
思いでいっぱいの私です💗

改めて、丹古晴己先生の
ご冥福をお祈り致します。

私の実力を認めてくれて、
才能を伸ばして下さった
丹古晴己先生の思いに応え、
まだよまだよまだよ!と、
まだよ精神で頑張ります!

皆様も応援して下さいね。
宜しくお願い致します。

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My little PARIS20131003















先日、「DEEN」の武道館ライブに向かう途中、作詞家の
「岩谷時子」さんがお倒れになったとの知らせを聞きました。

もう何年も前から、ご病状の経過をお聞きしておりましたので、
よく今日まで命を支えられたものと、周りの方々のご苦労、そして、
ご本人の生命力に、悲しむと言うよりは、拍手を送りたい気分です。

昨日も書かさせて頂きましたが、戦後の焼け野原から、国民が一丸となり、
誰もが望む平和な夜明けに向かって、その生きるエネルギーを燃やした
高度成長期という時代を、陰で支えた流行歌の功績は大きいと思います。

岩谷先生の代表曲「夜明けの歌」や「君といつまでも」、「恋の季節」等、
数々の名曲を見てみますと、「夜明け」「明日」という言葉が示すように、
希望を感じさせる「詞」が多く、昭和の時代の活気がそのまま作品に
封じ込められているような懐かしさを覚え、素直に口ずさむことが出来ます。

最近の流行歌に比べると、岩谷先生の時代の作品は、
ちょっと物足りないかな?と、思うほど、余計な言葉が無く、
それだけに奥が深いような気もするし、でもネ、歌なんて
そんな小難しいことを思わず、単純に捉えて愉しみなさいよ!
って、言われているような気もするし…どっちにしても、
説明や理屈や自己主張の多過ぎる歌詞は、却って
底が浅く感じられ、詞のテーマがピンボケしがちですから、
たまに原点に帰って、作詞家を目指している方などは、
4行詞から始めてみるのも勉強になるのではないかと思うのです。

先日、虫の知らせか、岩谷先生の作詞でもある、加山雄三さんの
<ながれ星>を、ご紹介致しましたが、如何でしたでしょうか?

他にも、「いいじゃないの幸せならば」「男の子・女の子」等、
多くの歌手の方々に詞を提供されていらっしゃいますが、
沢田研二さんの「君をのせて」が、私はたまらなく好きです。

他に、加山雄三さんの「たった一つの恋」「君のために」「ある日渚に」etc.
曲の良さも手伝って、加山さんの作品は好きなものばかり…

ご自身のご家族はいらっしゃらなかったようですが、多くの作品を
子供として、此の世に遺され、草野さんのようなおやさしい方々に
晩年は大切にされ、帝国ホテルで優雅に暮らし、子供に還って、
看取られて、生涯独身の偉大なる作詞家として天寿を全うされた
岩谷時子さんの人生は、それなりに恵まれていたのではないかと思います。

毛皮のコートをたくさんお持ちでいらっしゃるということで、私にも
いらないかと言われましたが、毛皮は動物愛護の精神からしても、
あまり趣味ではないので、お断り致しました。粗末になってもいけないし…

越路吹雪さんのマネージャーをされ、「愛の讃歌」等、多くの訳詞もこなされ、
裏方ではあったけど、華やかな暮らしの中で、何をどう見つめて
生きていらしたのか… その胸の内を聞いてみたい気がしますけど、
もう、岩谷先生が遺した「詞」から、窺い知るしか出来なくなってしまったことが
寂しいような、でも、歌わせて頂く時の醍醐味でもあるような…

新しい時代の夜明けに希望を託し、時代を恋人に愛を歌に託した
岩谷時子さんのご冥福を、心よりお祈り致します。




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