タグ:冥福

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皆様、今晩は。

やっと風が止み、夕方、2輪の「夜顔」が、白く美しい
その顔に、爽やかな微笑を咲かせてくれました。

昨日、蕾のまま命を終わらせた薄幸の「夜顔」の分も、
今夜一夜を精一杯生きてほしいと願うそばから、
今度は、雨が容赦なく「夜顔」のうなじを叩きます。

この写真を撮った直後、二つの「夜顔」は雨に打たれ、
その美しい花姿をあっけなく乱されてはしまったものの、
束の間の夜に漂う「生まれて来た証」のような残り香は、
私の胸にいつまでも甘く切なく消えずにいることでしょう。
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さて、今日は、520人が犠牲になった日航ジャンボ機
墜落事故から29年目の「8月12日」。

お盆の入りの一日前、そして、この家に引っ越して来る
二か月前の出来事ですから、忘れることが出来ません。

当時の私は、芸能界の片隅で、人間不信に陥り、
何もかもに嫌気がさして、違う土地で人生をやり直そうと、
生まれ故郷の東京を後にする決意を固めたとこでして、
夏の暑さに汗を掻き掻き、ここ八千代の家に越す準備の為、
通っている最中に飛び込んで来たニュースでありました。

人は死を目の前にした時、どういう精神状態になるのか・・・

二度と生きて踏みしめることの出来ない大地を思い、
空中を彷徨う飛行機の中で、恐怖に怯えながら、
犠牲者の方々が家族に最期のメッセージを残したメモを、
私たちも生きる指針として忘れてはなりません。

いつどうなるか分からない「命」。

草花にも、虫たちにも、動物にも、人間にも、
全ての生き物にはかけがえのない「命」が宿っています。

でも、皆、その期限に保証はありません。

たった一夜の命しか授けられていない「夜顔」だって、
一夜に咲くことが出来たらラッキーなのです。

30分だけでも、今日の「夜顔」のように、花を開かせることが
出来ただけ、蕾のまま散って逝った昨夜の花よりは幸運です。

ジャンボ機墜落の犠牲者の方々が遺した家族宛ての
メモに託された走り書きから、最終的に感じ取れるものは、
恐怖や絶望を超えた涙に光る「崇高な愛」であることです。

この家に越して来た年に起きた史上最悪の航空機墜落事故。
二度とこのような事故が起きないよう、祈ると同時に、
犠牲者の皆様のご冥福を祈り、清らかで美しい花の命を捧げます。

何でも「明日から」と言って、物事を先延ばしになさっている方、
明日はどうなるか、命はまだあるか、誰にも分かりませんから、
「明日から」を「今から」に変えて、今を生きることに専念致しましょう!。

とっさに今、死が迫ったら、最後のメッセージが書けますか?
「感謝」の言葉で、最後の手紙を綴れるように、日頃から
その日その一瞬を大切に、家族や友人と過ごしたいものですね。

ああ…千葉県人になって29年も過ぎちゃったんですね~
犠牲者の方々の分も、頑張って生き生きと、生きなければ!

そして、もっと生きたかったであろう身近な人たちの為にも、
不平不満をこぼさず、授かっている命を輝かせて生きなければ!

・・・そう、思います。

では、今日の最後に「花のお届け」でお馴染みの『Kichan』様から、
哀しみを鎮める美しい花の画像を、お借りしてまいりましたので、
明日の『お盆の入り』を迎えるにあたって、ご先祖様への思いと、
29年前の『日航ジャンボ機墜落事故』犠牲者の方々への冥福とを
併せて祈り、心の献花を捧げさせて頂きたいと思います。 合掌。

Kichan ブルーのバックに水色の花20140716








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紫と白のアレンジフラワー小の




























皆様、今晩は。

今日11月23日は<勤労感謝の日>。

そして、1707(宝永4)年の今日、富士山が噴火し、山腹に宝永山が出来た日であり、
それ以来、鳴りを潜めているということで、最近頻繁に起こる地震や、UFO目撃、
アイソン彗星の太陽大接近等、不気味さが増して来たような気のする私であります。

…と、言っても、地震や噴火に毎日怯えている訳にもいかず、生きる為には
働かなければなりませんから、とりあえずは、細々とでも食べて行ける仕事があることに
感謝して、古くは<新嘗祭>とも呼ばれた「天皇が新穀を天神地祇にすすめ、また、
親しくこれを食する祭儀」を、思い起こし、今夜は『働ける有り難さ』、『食べる喜び』を
しっかりと味わい、『生きていられる幸せ』を噛みしめて過ごしたいと思います。

さて、今日は、私の大切な生徒さんの1人である方のご主人が亡くなられ、
青く澄んだ空に見守られながら、ご葬儀に参列してまいりました。

その生徒さんは、ご主人が倒れられた4年前から献身的な介護をされて来られ、
大変なご苦労をされたにも拘らず、いつも明るく、歌の心を忘れずに
笑顔も絶やさず頑張って来たせいか、悲しみの中にあっても凛とされておりました。

烏滸がましいかもしれませんが、祖母を看取った時の、私の涙の晴れやかさに
近いものを、そのご挨拶のご立派さに感じ取ったのは、私だけではないはずです。

しばらくは、悲しく寂しい毎日が続くと思いますが、どうか、お身体に気をつけられて、
また、その素晴らしい笑顔と歌声を、披露しにいらしてくださいませね!

ご主人と我が家に見えられた時のことを思い出し、その安らかなお顔に
失礼ながら何度も何度も触れさせて頂きましたよ。
その額も頬も、ひんやりと、もう冷たかったけど、心なしか嬉しそうに見えました。

奥様のことは、私たちが支えて行きますから、心配なさらないでくださいね…
そう呟いて、最後にしっかりと手を合わせ、お見送りをしてまいりました。

勤労感謝の日に、旅立ちの儀式が出来るなんて、生前、よほどご立派に
ご家族や社会の為に、お働きになって来られたのでしょう。

私の親しい友人のお母様も、9年前の今日、お亡くなりになられたそうですが、
病弱でありながらも、子どもの為に働いて働いて、その命を全うされたようです。

私の産みの母も、11月3日の「文化の日」が、図らずも命日でありまして、
その苦労した人生を思いますと、「やっと静かに眠ることが出来てヨカッタね!
おめでとう!」…と、言ってあげたい気がしたのを憶えております。

勤労感謝の日の今日、ご結婚されたお二人、お誕生日を迎えられた皆様は
もちろんのこと、この祝日に、ご葬儀、命日というご縁を頂かれた方々にも、
「良き日であった」と、いうようなお見送りをされた記憶が、遺りますように…

「ご愁傷様」ではなく、「よく頑張って働きましたね!お疲れ様でした!」と、
その方々の人生を、称えさせて頂きたい<勤労感謝の日>の1日でした。

祖母の命日は、祝日ではありませんでしたが、なんと!「彼岸の入り」の旅立ちでした。
90歳で亡くなる直前まで、口から普通の食べ物を摂ることも出来ましたから、大往生で、
本当に「おめでとう!」と言った方が相応しいくらいの最期であったかもしれません。

父を支え、亡くなってからも、朝早くから夜遅くまで、働き詰めで、育ててくれた私の祖母、
そして、友人のお母様、生徒さんのご主人、この記事を読んでくださっている方々の
ご家族や、所縁のご先祖様たちと共に、「勤労感謝の日」を、お祝いしたいと思います。

では、ご冥福を祈りつつ、「新嘗祭(にいなめさい)」の我が家風儀式を行いに行ってまいります。
実は、ご近所の方から、お赤飯を頂きまして、それをご馳走になるだけなんですけど(笑)…

皆様、今日も1日、お疲れ様でした! そして、ご無事で、ご帰還おめでとう!
そして、そして… いつも最後まで記事をお読みくださいまして、本当にありがとう!

旅立つその時に、皆から、「おめでとう!」と言って、見送ってもらえるように、
共に、しっかりと働きましょうね!  今日は「勤労感謝の日」。





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