七五三














今日11月15日は七五三。

三歳の時はさすがに
憶えておりませんが、
七歳の時はしっかりと憶えています。

父の自転車でお産婆さんの家に
ご挨拶に伺った時、「あらまあ!
べっぴんさんになったねぇ~」と、
お産婆さんが目を細めて、私を
見つめてくれたのを思い出します。

子供にしてはシブイ茶系の色の
スーツに大きな襟の白いブラウスを
着て、父の漕ぐ自転車の後ろに
しがみついて、当時住んでいた
吉祥寺の駅の方面へと向かった
あの懐かしい昭和の景色と共に
父の背中の温もりが、胸の奥に
今も鮮やかに蘇ってまいります。

昔は「記念日」は「記念日」でした。

今は人々の都合で「記念日」当日が
平日だと仕事もあって忙しいからと、
日曜日に振り替えられてしまって、
「記念日」としての価値が無くなった
ようにも思われますが、こうして
昔を振り返った時に、「記念日」が
鮮やかな記憶を蘇らせてくれる
重要な役目でもあることに気付く
人がいったいどれくらいいるのか…
様々な「記念日」が近づく度に
昭和な私(笑)は考えてしまうのです。

私の七五三の日は平日でしたから、
勿論、父が仕事から帰って来てから、
暗く寒い夜道をお産婆さんの家へと
自転車を飛ばし、向かったのでした。

その帰りに、確か井の頭線の
ガード下にある小料理屋さんの
ママさんの所へも立ち寄った記憶が
あり、カウンターで父と一杯
てなワケはないか(笑)…でも、
そのママさんも「あら~お父さんに
似て、べっぴんさんね~」と、
言ってくれたのを記憶しています。

とても綺麗なママさんでしたね~
和服の上に白い割烹着を着て
カウンターの中でお料理を作ったり、
お客さんにお酒を注ぐその姿を見て、
こういう人がお母さんだったらなぁ
…なんて、よく思ったものでした。

ちなみに、ビールの泡が好きで、
その日も数えで6歳の私はビールで
七五三を祝ってもらいました

よほど私がべっぴんさんだった?
かのように思われがちですが、
当時は女の子ならどんな子でも
「べっぴんさん」と呼んでもらって
いたような温かい時代でしたね。

⁉「べっぴんさん」という言葉を
ご存じない…そう言えば、先月
私のネットラジオ番組に出演して
下さった「ビリー諸川」さんの曲に
『銀座でべっぴん有楽町』という
タイトルを見つけ、「べっぴん」と
いう言葉に久々に触れたような
気がして懐かしく思ったのでした。

毎年、日にちが変わる「記念日」に
最近の思い出は薄れがちですが、
とりあえず、無事に一年を過ごせ、
皆様と共にこの時代を生きられる
喜びを今日も嚙みしめております。

ああ…千歳飴が懐かしい(*´∇`*)

千歳あめ