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皆様、今晩は。

昨日は、美味しい鴨鍋に舌鼓を打ち、
懐かしい方々や、大事な人たちとの
至福の新年会を過ごした訳ですが、
酒豪の方がおられまして、ついつい
つられて、一升近くも呑んでしまい、
ブログを書こうにも、頭や目が痛み、
一日酔いが酷くて、その言い訳しか
書けずに、失礼してしまいました

お陰様で、二日酔いにはならずに、
今日は、元気よく、たんぽぽ教室へ
レッスンをしに行ってまいりました。

今日1月19日は《手をつなごう》を
作るキッカケとなった、その歌の
依頼者であり、生徒さんでもある
恩人の故岡村勝輔さんが生まれた日。

毎年、誕生日も近く、兄のように
岡村さんを慕っていた叔父と共に、
たんぽぽ教室の帰り、岡村さんの
眠る昭和浄苑に向かい、70才の
お祝いをして帰ってまいりました。

昭和90年の今年、20年生まれの
岡村さんは、生きていらしてたら、
今日、古希をお迎えになられたのに、
私たちと共に好きな歌を歌うことも、
お気に入りの「うお処・兆一」さんの
美味しい利き酒や、お料理の数々を
愉しむことも出来ないなんて…
切なく、寂しい誕生日の今日です。

歌の上達が目覚ましく、本気で
CDデビューを目指していたのに。

私の新曲の応援をする為の計画も、
楽しそうに話してくれていたのに。

本業の抗酸化住宅や、陶板浴の
普及にも力を入れ、地域の活性化を
計り、弱者と呼ばれている人の為、
社会の為になる活動を、手をつなぎ、
一緒にして行こうと約束したのに…。

全ては、岡村さんの大事な命と共に
消えてしまい、茫然と過ごした1年。

それでも、岡村さんとの繋がりで
知り合った方々や、クラスメイトの
生徒さんたちとの交流のお陰で、
少しづつ、前向きな気持ちとなり、
それなりに頑張った2014年でした。

もちろん、災難に見舞われた時も、
私を支えてくれたのは、古くからの
友人、知人、そして、私にずっと
ついて来てくれた生徒さんたちです。

今日、岡村さんのお墓の前で
そっと手を合わせておりましたら、
岡村さんが家に初めてレッスンに
来られた時に、歌われたように、
私のお墓の前で泣かないでください
…と、いう岡村さんのやさしい声が
聴こえたような気がして、ふいに
涙を拭い、空を見上げました。

千の風になって、岡村さんも私を
見守っていてくれるのでしょうか…

どんなに苦しいことがあっても、
耐える力を、その命と引き換えに、
私に教えてくれると言うのなら、
耐えてみせないと、岡村さんの
思いが、命が浮かばれないよ…と
でも言うように、西の空を、金粉を
まぶしたように輝くオレンジ色の
夕陽が、私の瞳の中で、ゆらゆらと
燃えながら落ちて行きました。

<人道を尽くし、天道に任す>

岡村さんが、お父様の墓標に
刻んだ言葉は、そのまま、自身の
生き方を表す言葉となりました。

岡村さんが好きだったコーヒーと、
我が家のミカンを墓前に捧げ、
たんぽぽ教室のクラスメイトから
言付かった和菓子も添えて、
「ハッピーバースデー」を歌い、
ささやかながら、お誕生日会を
させて頂きに行ってまいりました。

千の風になられたとしても、ずっと
忘れることのないように、お墓には
行きますよ。折々の心を添えて。

だから、岡村さん、その時だけは、
お願いだから戻って来てくださいね。
私たちに逢いに来てくださいね!

千の風になられたとしても…

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