タグ:幸運

蓮華草紫














皆様、今晩は。

大阪に行く前、「森昌子」さんの熱烈なファンのひぐらしさんと、
私までもが日頃お世話になっております岩手の齊藤さんから、
<美濃赤坂線>を歌われている「昌子」さんの映像の情報を、
ご丁寧にもお伝え頂き、早速、検索してみましたところ・・・

ありましたーっ! 新宿コマでの一コマ(笑)・・・さすがです!
昌子さん、ピンクの可愛いドレスを着て、1番だけではありますが、
爽やかなお声で<美濃赤坂線>を、しっかり歌われておりました!

アルバムの中の1曲ではありますが、当時のディレクターが、
シングルカットしてくださるとおっしゃられていたので、心待ちに
していたのですが、何やら他の問題で、揉め事などが勃発し、
結局、その話は宙に浮いたまま・・・未だに「待ち人」の私がいます。

思えば、そんなことばかり・・・「ここ」という大事な時に、いつも
不運に見舞われる人生を歩んで来た私ではありますが、
それもまた生きる上での醍醐味であり、ネタは尽きません。

「不運」も「幸運」も「運」の内。
「不運」は「幸運」へのスタートラインだと考えれば、どんな
災難に遭おうと、目標に向かって頑張る力が湧いて来ます。

「不運」であろうと、こうして生きていられるのだから「運」はある訳で、
生きたくても生きられなかった恩人の方々の分まで夢を持ち続け、
「運」を「うん!」と快く受け入れて、、「うんと」頑張って生きることが、
恩人への「恩返し」「運返し」になるのではないかと思うこの頃です。

<美濃赤坂線>にしても、ブログを始めたことによって、こんなに
この曲を愛してくださっていた「森昌子」さんのファンの方々に
お会いすることが出来たのですもの、シングルカットされなくても、
心を注いだ作品は「言霊(ことだま)」ならぬ「音霊(おとだま)」が宿り、
同じ感性を持つ人たちの心を結び付けてくれるのだということを
実感させられ、不運ではなかったとすら思えるようになりました。

改めて、齊藤さん、ひぐらしさん、そして、譜面起こしまでしてくださった
arufaromeoさん、ヨッコさん、その他、コメントをくださった「森昌子」さんの
ファンの皆様、心より感謝申し上げます。 本当にありがとうございました!


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ちょこっと楽譜











皆様、今晩は。

具合の悪い時、体に痛みを感じる時、辛くて死にそうな時、私は、
明日、死ぬ覚悟で今日を一日生き抜こう!と、最後の力を振り絞り、
(大袈裟ではなく)仕事や約束事を果たしに出かけて行きます。

今日で命が終わると思ったら、何だって出来ると思うのです。

でも、今朝は辛かった・・・ 毎度のことではありますけど、
必死で唱えましたよ「今日だけでイイですから、歩く力を、
話す力を、歌う力を、生きる力をお授けください!」って。

すると・・・どうでしょう!?・・・こうして今日も、何とか無事に出掛けて
帰って来れちゃいました。あんなに辛かったのに、痛かったのに・・・

ところで、どこが?何故?痛かったかと言いますと、たぶん、
睡眠不足と暴飲暴食のせいで、胃が疲れていたのでしょう、
両脇腹、背中、腰、肩、首に至るまで激痛が走り、果ては、
先日のお食事会で、骨折後、初めて畳に座ったことから、
足にまで痛みを感じ、今朝は歩けるどころではなかったのです。

ま、オヤジな女の代表(笑)の私にしてみれば、日常茶飯事のこと。

無理をするなと言われても、無理をしないで生きて行ければ、
そうしたいとこですが、無理をしなきゃ生きて行けないんだから、
「無理をするな」は、無理!Σヾ( ̄0 ̄;ノ 絶対、無理っ!(笑)・・・ 

何度もお話しさせて頂いて恐縮ではありますが、
韓国でのコンサートの前々日、骨折による後遺症の激痛に
襲われた時は、もう、何もかもお終いだと思いましたね・・・

あの苦しみは、今でも忘れられません。
あぶら汗と涙まみれになって、七転八倒しながら、あの呪文を
心の中で叫ぶように、唸るように、何度繰り返したことでしょう。

『歩けなくなってもいいから、せめて韓国のステージで
歌えるだけの命をお与えください!お願いします!』

東日本大震災の余震は、個人的にも続き、これでもかというように
降りかかる災難の火の粉を、振り払いながら生きている内に、
「呪文」を唱える癖と「暗示」をかける術(すべ)が身に付いてしまいました。

『今日の責任は今日、とらないといけないんです。だから、
せめて今日一日だけでいいですから、命をお与えください!』
・・・と、天に向かって、あの日のように「命の呪文」を必死に唱え、
今日も何とか一日、痛みに耐えて笑顔でいることが出来ました。

明るく元気に生き抜く為には、「暗示」も必要ですね。
どんな状況にあっても「私は運が良い」と、思い込むことが大事です。

そのように思っていれば、災難が降りかかった時も、「これは後に来る
幸運の前兆」と捉えることが出来、「今を生きる辛抱」という力が備わり、
数々の試練の後の「後運」を、真の「幸運」としてゲット出来るだろうという
明日への楽しみまで生まれ、今日という日が一転して輝きを放つことでしょう。

明日、死ぬ気で、今日を必死に生きることが、
明日への希望を
抱かせることに繋がるなんて、皮肉なものですね!

具合の悪い時は、一人でいたいものですが、案外、一人でいると
痛みが強く感じられてくるものです。 とにかく、人に会うこと。

今日は、『伊藤楽器歌謡学院』の講師仲間や、生徒さんたちとの懇親会があり、
今年初めての「バレンタインチョコレート」を頂きました。オヤジな私、喜ぶ( ̄ー ̄)ニヤリッ

本調子ではありませんが、10時半から17時半まで現場にいられたことは、
「命の呪文」と「幸運の暗示」のお陰かもしれません。

そして、何よりも「歌」のパワーと、それに魅せられた人々のパワーによって、
痛みが軽減し、こちらも大きなパワーを頂くことが出来たのでしょう。

今日お会いした皆様に、改めて、心から感謝を申し上げたいと思います。

赤い包装紙に包まれたプレゼント









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バラバラのバラ1色













皆様、今晩は~
年賀状書き、指が痛くなったので、ちょっと休憩…

昨日の有楽町の火災は、多くの交通渋滞を巻き起こし、
初詣の法要に間に合わなかった方々もいて、気の毒でしたが、
負傷者が出なかったことは不幸中の幸いでした。

今年、私は昨年の小天命殺に続いて、中天命殺に入り、
人生の中ではかなり危険な年に突入したことになりますが、
昨日の初詣に関して言えば、有楽町の火災のお陰で参拝客が遅れ、
いつもだったらごった返している本堂に入ることが出来、
オマケに椅子にも座れ、初護摩の炎を祈願と共に、
身近に浴びることも出来て、天命殺にしてはラッキーでした。

これも不幸中の幸い?…と呼ぶか、どうかは別として、
「幸運」というものは「不幸」の上に成り立っているもの…という気が
改めてしてまいりまして、火災の影響で、大事な法要や参拝を
逃してしまった方々の気持ちを慮りますと、自分の幸運を手放しでは
喜べないものの、何か、ホッとした気持ちで帰って来たのは事実です。

「火」は、片方では、火事という「事故を呼ぶ災いの火」、一方では、
「供養や祈願の祈りの火」として、また、私たちが生きる為には
欠かせない「生活の火」にも変化するのですから、皮肉なものです。

皆様も「不幸中の幸い」に遭遇されることは多いと思いますが、
人生そのものが「不幸中の幸い」であるような気も致しますね。

この世に生まれなければ、こんなに苦しまなくて済んだのに…
と、思うような出来事に、何度も襲われた方もおありでしょう。

でも、それを乗り越えた時にしか味わうことの出来ない「至福感」を
天は必ず与えてくれるのです。だから、生きられる…

「不運」は「幸運」を生み出す力を秘めていると思う私は、
度重なる不運に、凹むことはあっても、決して挫けませんでした。

人の愛を知ったのも、不幸のどん底の時。

だから、私は今はもう、あえて人並み以上の「幸運」は望みません。

かと言って、「不運」もこれ以上は正直、嫌ですから、
普通の運<普運>を、昨日は願ってまいりました。

同時に、私の愛する皆様が、何よりも健康でありますようにと、
祈願出来たことが、昨日のささやかな私の幸せでありました。

結局は、どんなことでも「思い方」「捉え方」「感じ方」によって、
「不運」であるか、「幸運」であるか、「不幸」であるか、「幸福」であるかが
決まるのではないかと思います。

全ては自分次第… 裏が表か、表が裏か…

私にとっての「幸せ」は、「普通」であること。
「不運」と「不幸」の果てに掴んだ幸せは「普運」と「普幸」です。

天命殺など、もう恐くないぞ~ 今年も普通に頑張りま~す!
皆様、これからも引き続き、応援の程、宜しくお願い致しますね!

さあ、また年賀状書きに戻ります。あと150枚…頑張ってまいります!
皆様、もう少し待っていてくださいね~ヽ(^o^)丿


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