皆様、今晩は。
今日は、東京のお盆。
先日買ってまいりましたお仏壇用の?「ほおずき」を写真のように飾り、
お供物を供え、今夜はささやかながら我が家で「盂蘭盆会」を行いました。
何年か前までは、九段にある「戦没者霊苑」に参拝がてら、
靖国神社の「みたままつり」にも立ち寄り、お参りしたものでした。
参道の両脇に掲げられた提灯の明るさに、魂までが眩むようですが、
「二度と戦争を起こしてはならないぞ」と言わんばかりの目映さに、
却って心が鎮められ、改めて、今の日本が平和であるのは、
戦争の犠牲になった英霊たちの「おみたま」に守られているからだと
感謝すると同時に、今もなお、浮かばれずにいるであろう戦没者の霊に、
平和への誓いを込めて、そっと手を合わせて来たものでした。
A級戦犯が祀られていることで、問題の多い靖国神社ではありますが、
死者の霊を鎮める為の参拝は、平和への思いに繋がる行為でもあります。
日頃、私は、花と水とお線香とお供物を、毎日欠かさず仏壇に献上し、
ご先祖様の霊を慰め、自分や大切な身近な人たちの幸せを願い続けております。
靖国神社であろうと、浅草寺であろうと、神社や寺院に参拝する機会があれば、
同じような思いで、自分の先祖だけでなく、死者の霊に語りかけ、合掌致します。
無節操だと言われても、私は「その人」を尊敬したり、好きになるのであって、
「仏教徒のその人」でも「キリスト教のその人」でも「無宗教のその人」でもなく、
「その人自体」が尊敬出来る人であれば、何だって、誰だって構わない(笑)・・・
だから、どんな神社仏閣でも参拝しますし、どんな宗派の方でもお付き合いします。
愛とは、いたって単純なものだと思うのです。
苦しんでいる人がいれば、同じように苦しみ、そして、助け合い、
喜んでいる人がいれば、同じように喜び、笑顔で抱きしめ合い、
無念な思いで亡くなって行った人たちがいれば、その涙を思い、合掌する…
私たちは、常に心の中に「愛」を祀り、「愛」に生きていることを、
こうして合掌することで、実感することがあります。
出来れば、その愛の温もりを感じる「手」で、お互いの心を繋ぎ合い、
争いの無い平和な世の中に通じる真の「霊性」を磨き合いたいものですね!
「手を合わそう 手を合わそう」・・・じゃなかった(笑)
「手を磨こう 手を磨こう」・・・じゃなかった(笑)
「手を洗おう 手を洗おう」・・・もう、何でもいいから歌ってチョーダイ!o(≧∇≦)o
では、Kichan様が作ってくださいました最新バージョンの<手をつなごう>をどうぞ!
<手をピース>ってのも、ありだそうです・・・平和ポーズ!?・・・ちょっと恥ずかしいッス。