タグ:最期

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皆様、今晩は。

昨夜は、サ高住《まほうの家》の
代表:横田治絵さんをお迎えして
十三夜に因み、「月」をテーマに
お送りしたインターネットラジオ
<ミナキーの洒落と歌の日々>
第88回の生放送日でございました。

月に1度、第3金曜日にお伺いして
《まほうの家歌謡教室》を開き、
発声の基礎から楽しく歌唱上達の
手ほどきをさせて頂いております。

番組でもお伝えしましたように、
評判を聞いて、入居希望の方々が
殺到し、今は順番待ちだそうです。

私も時々お邪魔しては、こんな家に
住みたいな~と、密かに思ったり…
ヘルパーの資格を取って働こうかと
考えてみたり…とにかく「サ高住」
《まほうの家》は人間らしい最期を
全う出来る理想的な終の棲家です。

パソコンでご覧の方は上の画面から
スマホ等でご覧の方は下のURLから
<ミナキーの洒落と歌の日々>
第88回放送をご覧下さい\(^o^)/

リズム感を心配されていた横田さん、
昨夜は何とか遅れずに歌えましたし、
鈴の音のような美声とコブシも回り、
髪型も決まってバッチリでしたよ

今月のボイトレ&歌謡教室は17日㈮

どなたでも無料でご参加頂けます

http://www.ustream.tv/channel/uXMDeX5vaTS

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《まほうの家》の会報には
愛がいっぱい詰まっています💕

皆様にも差し上げておりますので、
お気軽にご連絡をくださいネ

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白とベージュのベッドルーム20150317

















雨がしとしと降る夜は 
胸の扉を想い出が
コツコツたたく音がする 
そっと開ける音がする…

皆様、今晩は。

10年前の今時分、私は祖母の
入院している病院で、祖母との最期の
会話を交わし、静かに「その時」を
迎え入れる覚悟をしておりました。

心電図に託された祖母の命の鼓動が
やがて弱くなり、消えて行く瞬間を
たった一人で見守ったあの日の私。

母として、女手一つで育ててくれた祖母を
1人で介護し、1人で看取るという、
私なりの親孝行の気持ちを、恐らく
理解出来るのは、祖母本人だけでしょう。

ふと、最期の自分を思い浮かべた時に、
私も、愛する人1人だけに見守られて
死ねたら幸せだなぁと、思いました。

幸か不幸か、私には、子供も財産も
無いので、余計な心配も要りません(笑)。

たくさんの家族に看取られるなんて、
考えただけでも、私はゾッとしますね。

財産でもあろうものなら、自分の死後、
子供や孫たちが、遺産相続問題等で、
骨肉の争いになるかもしれないなんて、
考えたら心配で、成仏しきれませんもの。

ま、私には関係の無い事でござんす(笑)

父も、祖母も、目に見える財産は何一つ
遺してはくれませんでしたが、人として
生きる上での大切な愛を教えてくれました。

平成17年3月17日午前3時頃 祖母没

まさに、10年前の今頃です。

最期まで、私や周りの人々に感謝の言葉を
届け続けた祖母の温かく誇り高き人生を
今日という日に称えてやりたいと思います。

プレゼント紫の箱


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皆様、今晩は~(=^・^=)

この頃、我が家へ顔を出すようになった野良猫「ひろし」。

この間もチラッとご紹介致しましたが、3年前に瀕死の状態で
迷い込んで来たというか、捨てられた「マルちゃん」とは違って、
根っからのノラらしく、その顔つきや行動は、人間不信のような
荒んだ表情で、目つきも悪く、品の無さが滲み出ておりました。

猫のひたいほどの(笑)我が家の庭に咲く草花たちに
水をあげていると、どこからともなく「ひろし」が現れて、
じっと私のことを観察しているのですが、少しでも近づくと、
コソコソと倉庫の陰に隠れてしまい、なかなか心を開いてくれません。

でも、見て見ぬふりをしながら、花柄摘みをしたりしている内に、
私がそれほど危険な人物ではないと判断したせいか、逃げなくなり、
一定の距離を保ちつつ、「ひろし」とは、さり気ない付き合いが続いております。

子供の頃から猫と暮らして来た私は、鳴き声でオス猫を
おびき寄せることが得意で、ネコ語が話せると豪語しておりましたが、
子どものように可愛がっていたジュリアンという黒トラの猫が
交通事故で死んでしまってからは、あまりの哀しみに、もう長い間、
生きた猫と暮らすことなく、もっぱら写真や人形の猫を愛でたり、
YouTubeの動画の人様の猫を拝見することで我慢しています。

ただ、3年前に、癌や白血病等、いくつもの病気に侵された老猫が
我が家の近くに捨てられ、あまりの痛々しさに家に入れ、「マルコ」と
名づけ、介護したひと月足らずの愛おしくも短い命との日々を思えば、
縁あって命を預かり、看取るという使命感のもと、数々の涙を超えて、
また猫や動物たちと暮らせる日が来るのではないかとも思います。

あの最後に抱きしめた小さな亡き骸に、まだ残っていたぬくもりを
思い出す度に、飼い猫としてきちんと躾けられ、育てられていたと
思われる品の良い「マルちゃん」を、こんな大病を患ったせいで
捨てたのだとしたら、その飼い主は動物を飼う資格の無い人です。

それとも、その飼い主が亡くなって、家を追われたのか…

どちらにしても、ほんの短い間でしたけれど、最期を我が家で
迎えられたことは、それなりに徳の在った猫なのかもしれません。

「縁」というものは、関わった時間ではなく、関わった思いの深さが
繋ぎ止める心と心の結び目を指すのだと、私は思います。

猫にも心はあると思う証拠に、人を警戒していた野良猫「ひろし」も、
徐々に柔らかい表情になって来て、最初に見た時とは別人…いえ、
別猫のようになってまいりました。

ねぐらはどこにあるのか、この寒さで風邪を引きはしないだろうか…
少々気がかりではありますが、野良猫のたくましさで、この冬を無事に
乗り越えてほしいと、思っていますよ、「ひろし」くん!

今日は、クリスマスローズを写すふりして、その向こうのキミをパチリ!
実際はもっとブサイクなんだけど、私と同じで、写真映りの方が、
多少は良いんでないかい? カメラ目線、決まっているニャ~?
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逃げ足は、「猫ひろし」さんより、速いみたいです。「野良猫・ひろし」
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