バラバラのバラ1色













皆様、今晩は~
年賀状書き、指が痛くなったので、ちょっと休憩…

昨日の有楽町の火災は、多くの交通渋滞を巻き起こし、
初詣の法要に間に合わなかった方々もいて、気の毒でしたが、
負傷者が出なかったことは不幸中の幸いでした。

今年、私は昨年の小天命殺に続いて、中天命殺に入り、
人生の中ではかなり危険な年に突入したことになりますが、
昨日の初詣に関して言えば、有楽町の火災のお陰で参拝客が遅れ、
いつもだったらごった返している本堂に入ることが出来、
オマケに椅子にも座れ、初護摩の炎を祈願と共に、
身近に浴びることも出来て、天命殺にしてはラッキーでした。

これも不幸中の幸い?…と呼ぶか、どうかは別として、
「幸運」というものは「不幸」の上に成り立っているもの…という気が
改めてしてまいりまして、火災の影響で、大事な法要や参拝を
逃してしまった方々の気持ちを慮りますと、自分の幸運を手放しでは
喜べないものの、何か、ホッとした気持ちで帰って来たのは事実です。

「火」は、片方では、火事という「事故を呼ぶ災いの火」、一方では、
「供養や祈願の祈りの火」として、また、私たちが生きる為には
欠かせない「生活の火」にも変化するのですから、皮肉なものです。

皆様も「不幸中の幸い」に遭遇されることは多いと思いますが、
人生そのものが「不幸中の幸い」であるような気も致しますね。

この世に生まれなければ、こんなに苦しまなくて済んだのに…
と、思うような出来事に、何度も襲われた方もおありでしょう。

でも、それを乗り越えた時にしか味わうことの出来ない「至福感」を
天は必ず与えてくれるのです。だから、生きられる…

「不運」は「幸運」を生み出す力を秘めていると思う私は、
度重なる不運に、凹むことはあっても、決して挫けませんでした。

人の愛を知ったのも、不幸のどん底の時。

だから、私は今はもう、あえて人並み以上の「幸運」は望みません。

かと言って、「不運」もこれ以上は正直、嫌ですから、
普通の運<普運>を、昨日は願ってまいりました。

同時に、私の愛する皆様が、何よりも健康でありますようにと、
祈願出来たことが、昨日のささやかな私の幸せでありました。

結局は、どんなことでも「思い方」「捉え方」「感じ方」によって、
「不運」であるか、「幸運」であるか、「不幸」であるか、「幸福」であるかが
決まるのではないかと思います。

全ては自分次第… 裏が表か、表が裏か…

私にとっての「幸せ」は、「普通」であること。
「不運」と「不幸」の果てに掴んだ幸せは「普運」と「普幸」です。

天命殺など、もう恐くないぞ~ 今年も普通に頑張りま~す!
皆様、これからも引き続き、応援の程、宜しくお願い致しますね!

さあ、また年賀状書きに戻ります。あと150枚…頑張ってまいります!
皆様、もう少し待っていてくださいね~ヽ(^o^)丿