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Kichan・紅葉光20140914













皆様、今晩は。

今日10月30日は父の命日です。

今頃、ちょうど父は苦しみと闘い、
私たちは為す術もなく悲しみに
泣き崩れていたところでした。

当時は、脳溢血などで倒れた場合、
絶対に体を動かしてはいけないと
いうのが、一般的な常識でした。

救急車ですらも呼ぶことが出来ず、
もちろん、お医者様は来ましたが、
もう何も施してくれませんでした。

助かったかも知れない命をむざむざ
間違った情報を鵜呑みにした為に
助けることが出来なかった父の命。

今も後悔にさいなまされています。

とりあえず、お線香とお花を手向け、
父を独り偲ぶ30日の深夜であります。

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七五三














今日11月15日は七五三。

三歳の時はさすがに
憶えておりませんが、
七歳の時はしっかりと憶えています。

父の自転車でお産婆さんの家に
ご挨拶に伺った時、「あらまあ!
べっぴんさんになったねぇ~」と、
お産婆さんが目を細めて、私を
見つめてくれたのを思い出します。

子供にしてはシブイ茶系の色の
スーツに大きな襟の白いブラウスを
着て、父の漕ぐ自転車の後ろに
しがみついて、当時住んでいた
吉祥寺の駅の方面へと向かった
あの懐かしい昭和の景色と共に
父の背中の温もりが、胸の奥に
今も鮮やかに蘇ってまいります。

昔は「記念日」は「記念日」でした。

今は人々の都合で「記念日」当日が
平日だと仕事もあって忙しいからと、
日曜日に振り替えられてしまって、
「記念日」としての価値が無くなった
ようにも思われますが、こうして
昔を振り返った時に、「記念日」が
鮮やかな記憶を蘇らせてくれる
重要な役目でもあることに気付く
人がいったいどれくらいいるのか…
様々な「記念日」が近づく度に
昭和な私(笑)は考えてしまうのです。

私の七五三の日は平日でしたから、
勿論、父が仕事から帰って来てから、
暗く寒い夜道をお産婆さんの家へと
自転車を飛ばし、向かったのでした。

その帰りに、確か井の頭線の
ガード下にある小料理屋さんの
ママさんの所へも立ち寄った記憶が
あり、カウンターで父と一杯
てなワケはないか(笑)…でも、
そのママさんも「あら~お父さんに
似て、べっぴんさんね~」と、
言ってくれたのを記憶しています。

とても綺麗なママさんでしたね~
和服の上に白い割烹着を着て
カウンターの中でお料理を作ったり、
お客さんにお酒を注ぐその姿を見て、
こういう人がお母さんだったらなぁ
…なんて、よく思ったものでした。

ちなみに、ビールの泡が好きで、
その日も数えで6歳の私はビールで
七五三を祝ってもらいました

よほど私がべっぴんさんだった?
かのように思われがちですが、
当時は女の子ならどんな子でも
「べっぴんさん」と呼んでもらって
いたような温かい時代でしたね。

⁉「べっぴんさん」という言葉を
ご存じない…そう言えば、先月
私のネットラジオ番組に出演して
下さった「ビリー諸川」さんの曲に
『銀座でべっぴん有楽町』という
タイトルを見つけ、「べっぴん」と
いう言葉に久々に触れたような
気がして懐かしく思ったのでした。

毎年、日にちが変わる「記念日」に
最近の思い出は薄れがちですが、
とりあえず、無事に一年を過ごせ、
皆様と共にこの時代を生きられる
喜びを今日も嚙みしめております。

ああ…千歳飴が懐かしい(*´∇`*)

千歳あめ







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Kichan 紅葉した大きな葉 20141102














皆様、こんにちは。

一昨昨日10月30日は愛する父の命日。

昔はお墓参りを兼ねて、八王子から
山梨方面へ旅に出掛けたものでした。

考えてみると、家族が揃ったのは、
私が4歳の時のクリスマスの時だけ。

もちろん、旅行に行ったこともなく、
父は当たり前ですが、祖母も養女の
姉も働きどおしの毎日でしたから、
たまの日曜日に、一回り以上歳の
離れた姉とブランチ用のコロッケや
メンチカツを買いに、扶桑通りに
面したお肉屋さんへと出掛けるのが
小学校低学年位までの私には唯一の
楽しみであり、ささやかな旅でした。

父と二人ではよく、井の頭公園の
分園「自然文化園」という小さな
遊園地兼動物園へ遊びに行き、
象のはな子さんと父のやりとりを
見てはその愛らしいポーズをとる
はな子さんの姿に感動、何もない
時代でしたが、公園の森の木々の
葉の間からキラキラとこぼれ降る
木漏れ日のような愛がありましたね。

そんな輝く昭和の時代に幼少期を
過ごせたことは、たとえ家族が常に
一緒に揃わなくても、それぞれが
懸命に働いているのだということを、
子供なりに認識出来た訳ですから、
人を思いやる心を育てるのには
絶好の環境下で育てられた私は、
本当にラッキーだったと思います。

それでも、父が早くこの世を去り、
充分に親孝行が出来なかったことは
今も悔やまれ、出来るなら温泉に
連れて行ってあげたかったなぁと、
お墓参りの度に思う私なのです。

明日3日は縁の薄い産みの母の命日。

それも今年は23回忌でありながら、
BS11TV「演歌百撰スペシャル」の
公開収録の為、静岡県磐田市まで
行かねばならず、またしても母との
縁の薄さを噛みしめている次第です。

死に目にも会えず、葬儀に参列すら
出来なかったことを悔やみながらも、
父や祖母ほどの愛情が湧かなかった
母に対して今は、せめて還暦までは
生きていて欲しかったと思う私です。

深まる秋の永遠の景色の中に、
血よりも濃い色の紅葉やケイトウが
鮮やかに美しく、生き続けています。

家族の縁は薄くても、血よりも濃い
絆で結ばれた友人や恩人が私には
何人かおりますから、幸せですよね。

さあ!今夜はネットラジオ生放送日。

耳を傾け、心を寄せてくれる方々が
いて下さると信じているからこそ、
どんなに大変であっても、この人生、
秋の陽射しに揺れる紅葉のように、
赤々と輝かせていられるのでしょう。

若くして亡くなった父や母の分まで
頑張ることが供養になると信じます。

父と母の命日の狭間で、親の歳を
越えることの使命を感じながら…

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