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ゾウの花子①












井の頭自然文化園で、当時
1番人気だったゾウの花子。



皆様、今晩は。

今日から10月がスタート!

子供の頃は「都民の日」で
学校が休みの為、吉祥寺に
生まれ育った私は、近くの
井の頭公園や自然文化園に
遊びに行ったものでした。

生れてからの15年間と、
千葉都民となってからの
30年余りの月日の濃さは、
やはり、生まれ故郷には
勝てないものがあります。

中身の充実は器の大きさや
過ごした時間の長さだけで
計れるものではないのだと
しみじみ思った今日でした。

今月は父の命日月でもあり、
何と!今年は50回忌となる
49度目の命日を迎えます。

お父さん子だった私はよく
井の頭自然文化園に連れて
行ってもらい、動物たちを
観察する度に、可哀そうで
もっと広い草原や山の中に
逃がしてあげたいと小さな
胸を痛めていたものでした。

それでも父はまるで友達か
恋人のように、当時人気の
あったゾウの花子さんとの
仲睦まじいところを見せて
くれたり、猿の習性などを
教えてくれたので、それは
楽しい想い出として、心に
今も鮮やかに残っています。

父の漕ぐ自転車に乗せられ、
おもちゃを買ってもらいに
吉祥寺の駅周辺を散策した
あの寒いクリスマスの頃の
温かい父の背中の頼もしさ。

父さえいればどんなことも
恐くなかったあの幼い日々。

ある日突然、全ての幸せを
捥ぎ取られた49年前の涙。

考えてみたら、親孝行すら
出来ない内に、運命は父を
神様のもとへと連れ去って
しまったのものですから、
未だに未練や悔いが残って
悶々としていましたところ、
50回忌として、護摩法要を
個人的に焚いて頂けるとの
ありがたいお知らせを頂き、
永年の父への思いがやっと
成就する時が来たのだと
胸を震わせた今日でした。

ちなみに今も、都民の日は
文化園は無料なのかしら?

父との想い出は他にも沢山
あって数え切れない程です。

沢山の想い出をくれた父に
感謝を込めた50回忌法要を
お護摩を焚いて供養出来る
有難さを噛みしめています。

愛する父への初の親孝行が
出来ると知らされた今日は
奇しくも想い出の都民の日。

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Kichan・紅葉光20140914













皆様、今晩は。

今日10月30日は父の命日です。

今頃、ちょうど父は苦しみと闘い、
私たちは為す術もなく悲しみに
泣き崩れていたところでした。

当時は、脳溢血などで倒れた場合、
絶対に体を動かしてはいけないと
いうのが、一般的な常識でした。

救急車ですらも呼ぶことが出来ず、
もちろん、お医者様は来ましたが、
もう何も施してくれませんでした。

助かったかも知れない命をむざむざ
間違った情報を鵜呑みにした為に
助けることが出来なかった父の命。

今も後悔にさいなまされています。

とりあえず、お線香とお花を手向け、
父を独り偲ぶ30日の深夜であります。

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七五三














今日11月15日は七五三。

三歳の時はさすがに
憶えておりませんが、
七歳の時はしっかりと憶えています。

父の自転車でお産婆さんの家に
ご挨拶に伺った時、「あらまあ!
べっぴんさんになったねぇ~」と、
お産婆さんが目を細めて、私を
見つめてくれたのを思い出します。

子供にしてはシブイ茶系の色の
スーツに大きな襟の白いブラウスを
着て、父の漕ぐ自転車の後ろに
しがみついて、当時住んでいた
吉祥寺の駅の方面へと向かった
あの懐かしい昭和の景色と共に
父の背中の温もりが、胸の奥に
今も鮮やかに蘇ってまいります。

昔は「記念日」は「記念日」でした。

今は人々の都合で「記念日」当日が
平日だと仕事もあって忙しいからと、
日曜日に振り替えられてしまって、
「記念日」としての価値が無くなった
ようにも思われますが、こうして
昔を振り返った時に、「記念日」が
鮮やかな記憶を蘇らせてくれる
重要な役目でもあることに気付く
人がいったいどれくらいいるのか…
様々な「記念日」が近づく度に
昭和な私(笑)は考えてしまうのです。

私の七五三の日は平日でしたから、
勿論、父が仕事から帰って来てから、
暗く寒い夜道をお産婆さんの家へと
自転車を飛ばし、向かったのでした。

その帰りに、確か井の頭線の
ガード下にある小料理屋さんの
ママさんの所へも立ち寄った記憶が
あり、カウンターで父と一杯
てなワケはないか(笑)…でも、
そのママさんも「あら~お父さんに
似て、べっぴんさんね~」と、
言ってくれたのを記憶しています。

とても綺麗なママさんでしたね~
和服の上に白い割烹着を着て
カウンターの中でお料理を作ったり、
お客さんにお酒を注ぐその姿を見て、
こういう人がお母さんだったらなぁ
…なんて、よく思ったものでした。

ちなみに、ビールの泡が好きで、
その日も数えで6歳の私はビールで
七五三を祝ってもらいました

よほど私がべっぴんさんだった?
かのように思われがちですが、
当時は女の子ならどんな子でも
「べっぴんさん」と呼んでもらって
いたような温かい時代でしたね。

⁉「べっぴんさん」という言葉を
ご存じない…そう言えば、先月
私のネットラジオ番組に出演して
下さった「ビリー諸川」さんの曲に
『銀座でべっぴん有楽町』という
タイトルを見つけ、「べっぴん」と
いう言葉に久々に触れたような
気がして懐かしく思ったのでした。

毎年、日にちが変わる「記念日」に
最近の思い出は薄れがちですが、
とりあえず、無事に一年を過ごせ、
皆様と共にこの時代を生きられる
喜びを今日も嚙みしめております。

ああ…千歳飴が懐かしい(*´∇`*)

千歳あめ







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