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皆様、今晩は。

今日は「納めの大師」。

私は割と昔から、「納め役」に
回ることが多く、小学生の頃も、
虐められている転校生をかばい、
その泣き虫の男の子たちがみんなに
受け入られるように仕向けて行く
算段をしたりすることが得意でした。

あくまでも目立たぬように(笑)

恩を着せるのも、着せられるのも
好きではありませんが、正直、
そういった子たちが、やがて、
何事も無かったようにみんなと遊び、
私などに見向きもしないようになると、
少し寂しいような気持ちになり、
「恩も忘れて…」と、思いもします。

でも、男の子は男の子同士で
仲良くすればいいだろうと思ったし、
女の子にはけっこうモテたので、
それはそれで、楽しく、懐かしい
想い出として、今も胸に鮮やかな
明かりを灯し続けてくれています。

それから〇〇年…

不思議なことに、小学生の頃と
そう大して変わらない役割を
自分が担っていることを、最近
感じるようになって来ました。

大人の社会も、子どもの社会の延長。
でも、子どもの社会より、ちょっと
厄介で、納まりがつかない状態に
なることが多いような気がします。

それは、子ども自体が大人だった
昔と比べ、未熟な思想のまま
姿だけ大人に成った子どもたちが
社会を形成しているからであり、
人の痛みを解ろうともせずに、
自分の主張ばかりを通そうとする
幼児的人間が増えたからでしょう。

『納めの親善大使』に任命された
私にとって、納めづらくなって来た
世の中と、人々の関係ですが、
根気よく、人の意見や考えを聞き、
その心の悩みや哀しみに、そっと
寄り添えるような包容力と人間力を
磨く努力を、これからも惜しみなく
続けて行くつもりでございます。

肌と肌を通して、心を磨き合った
子どもの頃の感動が懐かしくもあり、
ネット社会の今こそ、重要なこと
ではないか…と、思うこの頃です。

何か、納まりのつかない文章に
なってまいりましたので、この辺で。

今日は「納めの大師」。
私は「おかめの大使」。

…だめじゃ、こりゃ!納められずに
今日が終わってしまう~(ToT)/~~~

おやすみなさ~い☆彡

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